みんなちがって、たいへんだ
「人との関わり」という観点で
知人が読んでいた本が気になって読んでみた。
ブログのタイトルは、その本の中に書いてあった言葉。
人間関係ってそれが前提だよね、と認識していたら
人との関わりをより楽しみながらおこなっていけるような気がした。
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こころからわかりあえることを前提とし、最終目標としてコミュニケーションというものを考えるのか、
「いやいや人間はわかりあえない。でもわかりあえない人間同士が、どうにかして共有できる部分を見つけて、それを広げていくことならできるかもしれない」
と考えるのか。
「心からわかりあえなければコミュニケーションではない」という言葉は、耳に心地良いけれど、そこには、こころからわかりあう可能性のない人びとをあらかじめ排除するシマ国・ムラ社会の論理が働いてはいないだろうか。
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今まで、「わかりあえるもの」と思ってコミュニケーションをしてきたことが多くあった
そういう時は、「あれ、なんか違う」と気づいた時に心が相手から離れていく瞬間があった
けれど、「わかりあえないもの」と思いながらコミュニケーションをとっていると他者を尊重しやすく、わかりあえる人と出会った時の感動が結構あった
この本を読んで、自分がコミュニケーションのとり方を
時により使い分けていることに気づいた
また、おもしろい表現があったのでここに書いておきたい。
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科学哲学が専門の村上陽一郎先生は、人間をタマネギにたとえている。
タマネギは、どこからが皮でどこからがタマネギ本体ということはない。皮の総体がタマネギだ。
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自分らしくいたい、なかなか自分が出せないとかってよく思ったりしてたけど、
それも含めて自分である。
それを丸っと自分で受けとめる。
表面的なところもなかなか出せないものも全て自分
「あなたって、あまり慣れていない人の前だとスナフキンみたいにクールな感じだけど、慣れているところにいくと風船がパンっと弾けたようにミーみたいに自由になるよね」
と昔、姉にいわれたことがある
スナフキンな自分もミーの自分も自分自身。
人との関わりについて考える時は、
いつも自分自身のことにも戻ってくる
おもしろいな。
多様な人と関われること。
おもしろい。
『わかりあえないことから コミュニケーション能力とは何か』著者:平田オリザ
を読んで。